「ちゃんとやってます」という演出の正体
会津若松郵便局社員、通勤で酒気帯び運転 道交法基準値には満たず(福島民友新聞) - Yahoo!ニュース
昨日の朝のミーティングで、会津若松郵便局の件が話題に上がった。 基準値未満のアルコール検出。それでも警察に報告し公表。
職場での現状は先日の記事でも書きました。 しつこいようですが、私にはどーしても“違和感”が生まれるのです。
業務車両だから? じゃあ車通勤の内務職員や管理者は? 朝イチで呼気チェックするなら、そこまでやらなければ筋が通らないのでは。
それを一部だけ切り取り、警察のリソース(国の税金)を使ってまで社会にアピールする。 これって「組織防衛」以外の何ものでもない。
“個人の責任”として処理し、 “ちゃんと対応しました”というポーズだけを残す。 現場の声や構造的な問題には目を向けない。 その姿勢こそ、個人的に最大の違和感です。
根底にあるのは、みせしめ文化と帝国主義的な思考ではないでしょうか。
「上からの管理と統制に価値を置き、現場の声を抑えつけるような発想」
誰かを犠牲にしながら、組織の保身を図る。 ルールの厳格化で、“統治する側”の安心感だけが増していく。
コロナ禍のときも、似たような光景を見た。 班員同士の会食、歓送迎会、組合の集まり……すべてが「感染予防」を名目に自粛され、 やがて“なし”が社会的に当たり前の空気になっていった。
今回のような件をきっかけに、 またしても「全面廃止」が常識になっていくのではないかと感じるし、確かにそれも一つの対策です。
更に言えば、 たとえば、局内に貼られた「ふくしまの酒」PRポスターの撤去。 お中元・お歳暮での酒類販売の廃止。 先日も指摘したが、アルコール依存症なら視覚情報からの影響ってゼロではない。
そこまでやるなら。システム化もありと私は感じます。 行政と連携して“アルコール購入にはマイナンバー提示”というような管理社会へしてみては良いのではと感じます。 徹底的に飲酒運転を根っこから撲滅するには、ここまでやってほしい。
“誰かのせい”にすれば、組織の信頼は守られる。 “再発防止”という言葉のもと、どんどん息苦しい職場と社会になっていく。
昭和、平成を超えて令和の現在。 形は変わったように見えても、組織の手法はまるで振り子のように揺れながら、 根本的な体質は変わっていないのかもしれない。
苦痛やストレスは確かにある。 ですが私は個人的な落とし所として、“すり抜け”ではなく、“向き合う”ことを選びたい。
この事案、そしてこれからの体制に対して、 私なりに考え、問い続けて発信していきます。
