dの日記

2023年50歳になる男の日記

私のワンオペ飲食店の考察

先日、配達中にワンオペの飲食店で、店主から罵声を浴びせられた。もちろん理不尽で、不快だった。正直、イラッともした。だが、あとになってふと考えた。

相手の態度や言動だけで判断するのではなく、

その人が歩んできた時代背景…もっと言えば、“どんな生き方をしてきたのか”に目を向けてみたらどうだろうか⁇

すると見えてくるのは、個人の性格というより、“社会がつくった残念な人間像”であること。そう捉えると、ただ腹を立てて終わるのではなく、今後どう接するべきか、自分なりのヒントが得られる気がしました。

今回はそんな体験をもとに、時代に取り残された“ワンオペ店主”について、自分なりの考察を書いてみたいと思う。

 

◇時代に取り残されたワンオペ店主 

料理はうまい、仕事も丁寧。それでもどこかに息苦しさを感じてしまう、、そんな店で過ごした時間から見えてきた、“働き方”と“時代”のズレである。

◇ワンオペ営業という働き方

ひとりで切り盛りしている飲食店。察するに朝は少し遅めの9時から仕込みや準備、そこからディナーまでをワンオペで回している。12時間以上の労働のはずです。

水はセルフ。注文を受けて調理して、提供して片付けをすべてを一人でこなす。厨房とホールを行き来する動きに無駄はなく、正直プロの仕事。でもどこかピリピリとした空気が漂っていた。

◇話しかけるなオーラと、椅子の上の昼寝

注文や会計時、忙しさのオーラがすごくて、店内の空気が張り詰めている。そうランチタイムはまさに戦場。営業がひと段落すると、昼休憩はカウンターの椅子を数脚並べて昼寝する店主…その姿を見たとき、思った。

この人の時間は、どこかで止まってしまっているのかもしれない。

◇「効率」ではなく「閉じた働き方」

一見効率的な働き方。しかし誰とも交わらず話すこともなく、ただ黙々と回す日々。6日間みっちり働いて、唯一の休みは身体を休めるだけの消極的な休日。未来のことを考える余裕なんてどこにもない。そしてどこかで、「昔はよかった」と思い返しているのではないだろうか。

◇昭和・平成・令和をまたいで変われなかった

昭和の時代、我慢と根性が美徳とされていた。厳しくされて当たり前。怒鳴って教えるのが正義。その空気を生き抜いた人がいまもその価値観のまま、店に立っている。

平成では効率とコスパが叫ばれ、令和では共感や余白が重視されるようになった。けれど、その変化に適応できず、働き方が昔のまま止まっている人間、確かに存在する。

◇自分ルールと支配欲

自分ルールが一番。相手の身元が分かり(配達員・仕入業者)反論されないとわかると怒鳴り散らして服従させる。それはもう“支配欲”に近い。ワンオペであること自体は悪くない。対話を閉ざし、自分のやり方に固執するその姿は、時代に逆行しているように見えてしまう。

◇最後に

一人で全てを回すという選択をしたワンオペ店主。

それは立派な働き方である一方で、時代の変化や他者との関係性から、徐々に遠ざかってしまった結果でもあるのかもしれない。私たちの社会は、そんな“取り残された働き方”を、どこかで見て見ぬふりをしている。

「味が良ければそれでいい」「話しかけなければ済む」という声が、その空気を支えている気もします。

料理はうまかった。でもまた行きたいとは思えない。そこには時間が止まったままの空気が漂っていたから。

それをそのままにしている社会の空気も拭えないです。