「インマイポッポ」とは、横領や万引きなど“こっそり自分のものにする行為”を、軽い調子で言い換えたスラングと思われます。
配達怠り郵便物498通隠す 被告に懲役1年求刑 那覇地裁 「怒られるのが嫌で相談できず」 沖縄(琉球新報) - Yahoo!ニュース
先日、あるニュースが目に入った。
郵便配達員が、配達できなかった郵便物を自宅などに隠し、実刑判決を受けたという。
当然ながら、郵便物の隠匿は絶対にやってはいけない行為だ。
私も配達という仕事に就いている身として、これは他人事ではないし、そうした行為が自分たちの信用を下げることになるのも分かっている。
その記事を読みながら、私はふと思った。
「なぜここまで厳しく裁かれるのか?
一方で、もっと大きな不正を犯しても、何もなかったことになる人がいるのはなぜなのか?」
■ 私が見てきた“静かな不正”
地方に住んでいる私の身近でも、かつて何度か企業の横領事件を目にしてきた。それも数万円・数十万円という話ではない…数千万円規模のケースもあった。
それが驚くことに、多くが返済の上での「解雇」で済まされていた。
起訴されることはなく、報道もされず、本人は数カ月後には何事もなかったかのように別の仕事に就いていた。「返済すればOK」「ブランドを守るために穏便に」そんな言葉が、裏では当たり前のように飛び交っていた。
もちろん、会社や経営陣にも事情はあるのだろう。
でも私はどこか腑に落ちなかった。やっていることは、明らかに犯罪のはずなのに。
■ なぜ郵便配達員は重く裁かれるのか?
日本郵便の配達員は、郵便法という特別な法律に縛られている。「信書を勝手に隠したり捨てたりする」ことは、国家制度の信頼そのものを損なう行為とされ、重く罰せられる。
1通でも違反すれば、立派な刑事事件。
だから、例え悪意がなかったとしても罪は罪。
しかも、最近は郵便局の不祥事が連続して報道されている。「見せしめ」のように厳しい処分が下されるのも、ある意味では当然なのかもしれない。
それでもやはりこう思ってしまう。
「なぜ、配達員だけがここまで吊るし上げられなければならないのか?」
■ 現場が壊れていく音
この仕事に就いて10年以上になるが、配達区域も順路も、ほとんどが昭和の設計のままもある。
※近年、やっとアップデートされてきたが。
人員不足で休憩も満足に取れず、クレーム対応に追われる。「代わりはいくらでもいる」「言い訳は聞きたくない」まだまだこちらも昭和の感覚。
不祥事があれば個人がすべてを背負い、
組織は「指導を徹底する」とコメントを出すだけ。
こんな状態で、「人を大事にする会社」なんて言えるのだろうか。いや、そもそも誰がやりたがるのだろうか?少なくとも、これから先を担う若者たちに、この現場はどう映るのか。
■ “正義”の顔をしているものの正体
もちろん、どんな職種であれ、不正は不正。やってはいけないことは、やってはいけない。それは前提として、誰もが守るべきルールだ。
ただ、私は思う。
「誰が裁かれ、誰が裁かれないか」には、あまりにも差がある。
・公務に近い職種だから
・メディアが取り上げやすいから
・訴えやすい構造だから
そんな理由で、同じような罪が“重罪”にも“無罪”にも変わる社会に、違和感を持たずにはいられません。
そんなことを感じたYahoo!ニュースです。
■ 終わりに。あなたなら、どう感じますか?
私は法律の専門家でも、評論家でもない。ただの現場の一人です。
でも、自分の目で見てきたもの、経験してきたこと、
そして感じた「理不尽」は、確かにここにある。
私たちは何をもって“正義”と呼ぶのだろう。
誰がどんな基準で“裁かれ”、誰が“守られて”いるのか。
これは社会への問題提起というより、
「あなたなら、どう感じますか?」という問いかけにしたいです。