雑誌『歴史人』を読んでいて、改めて太平洋戦争の現実に触れました。記事を眺めていると、素人の目から見ても「これは無理ゲーだろ」と感じる作戦が本当に多い…。日本軍は“絶対防衛ライン”などと掲げて東アジアの各地で戦っていましたが、補給のことを考えればそもそも成立するはずがありません。南方から油や資材を日本まで運ぶだけでも大変なのに、制海権や制空権を失った時点で完全に詰んでいたのです。

その象徴がフィリピン戦です。まず1944年のレイテ地上戦。日本軍は総力を挙げましたが、わずか2か月で約9万人が戦死・戦傷しました。米軍の圧倒的な物量と制空力の前に為す術もなく、兵士の多くは餓死や病気で次々と倒れていった。
続く1945年のルソン島の戦いは、さらに桁違いの規模です。日本軍は約25万人を投入し、そのうち21万人が死傷。まさに壊滅的な結果で、ほとんど全軍が消えたに等しい数字です。補給もなく孤立した兵士たちは、米比連合軍に海と空を押さえられて逃げ場を失い、島全体が巨大な消耗戦の舞台となっていきました。
さらに追い打ちをかけたのが「最後の一兵まで戦え」という永久抗戦命令。戦局を変える力などないのに、ただ時間を引き延ばすだけ。銃弾が尽きれば竹槍、食糧が尽きれば餓死、病気になっても治療はない。こんな状況で「死ぬまで戦え」と言われた兵士たちの絶望感は計り知れません。現場にいた人間からすれば「たまったもんじゃない!」そんな極限状態だったと思います。
結局、レイテもルソンも、日本の敗北を覆すことはできず、犠牲だけが膨れ上がり、現地の民間人も巻き込み、島全体が戦争の犠牲と化したのです。これを“無理ゲー”と言わずして何と言うのか。
そしてふと考えるのは「もし戦争の時代がずれていたら」ということです。人口の多い団塊の世代や団塊ジュニアの時代と重なっていたら、その膨大な若者たちが戦場に送り込まれていたかもしれない。想像するだけで背筋が寒くなります。人口の多い世代が一気に消耗すれば、戦後の復興や高度経済成長はなかったでしょう。
そして、さらに恐ろしいのは当時の大本営を中心とした「言えない空気」です。戦況が悪化しても「やめよう」と言えない。無謀な作戦を精神論で突っ走り、講和の判断を先送りする。その沈黙の合意こそが、何十万もの命を無駄にした最大の要因だったのではないでしょうか。
歴史人を読みながら、日本軍の「無理ゲーぶり」を強烈に感じました。25万人を投入し21万人が倒れたルソン島、そして9万人が消えたレイテ。その数字に埋もれた無数の命を忘れず、学び続けなければならない。戦争を知ることは過去をなぞるだけでなく、今を考えるきっかけにもなるのだと感じました。