精神論を疑わなかった頃
社会に出た10代20代の頃、私は所属していた組織の精神論を当たり前のものとして受け入れていました。
「やればできる」「気持ちで乗り越えろ」…そんな言葉を疑うこともなく、それに従うことが社会人としての正しさだと思っていたのです。仕組みが整っていなくても、とにかく気合でなんとかする。そんな文化に自然と染まっていました。
1944年:インパール作戦との重なり
歴史を学び直す中で知ったのが、1944年のインパール作戦です。
日本軍はビルマからインドへ侵攻しましたが、補給路を確保できないまま作戦を強行しました。その結果、弾薬や食料が尽き、数万人の兵士が餓死や病死に追い込まれました。
本来なら計画段階で中止すべきだったのに、「精神力で突破できる」という空気がそれを押し進めてしまったのです。

自分の経験と時代の影
私が若い頃に体験した精神論も、この構造とどこか重なります。戦後の日本社会は軍隊文化を引きずり、その精神論が企業や中小の組織に浸透していました。
補給なきまま突撃するように、現場の声より「気合」を優先してしまう。最前線に立つ人間が疲弊していくのは、過去の戦争も現代の社会も同じなのだと思います。
今だからできること
情報化社会となった今、過去の歴史や社会背景を知ることで、精神論をただ受け入れるのではなく、検証することができるようになりました。
精神論には確かに良い面もあります。仲間を奮い立たせる力や、一歩を踏み出す勇気を与えてくれることもあるでしょう。
しかし補給や仕組みの裏付けなしに精神論だけで進めば、インパールの悲劇と同じ轍を踏んでしまいます。
遅いかもしれません。この先の人生では、精神論を全て受け入れず、残すべきものと捨てるべきものをしっかり見極めていきたいと思います。