dの日記

2023年50歳になる男の日記

団塊ジュニアはどこへ行ったのか

ここ数年、昔みたいに同世代の姿を見かけることがなくなった。10代20代の頃、どこに行っても誰かがいた。ホームセンターでもコンビニでも“ん?見たことある👀”特に声をかけるわけじゃないけど…そんな偶然が日常に転がっていた。だけど今は全体が静まり返ったように感じる。

勘違いしてほしくないのは、私は誰かに会いたいわけではありません。

これだけ人口が多いはずの自分たちの世代なのに…そう思うと不思議に感じるのです。

1973年生まれ。いわゆる団塊ジュニア日本の戦後で最も人口が多い層で、出生数を見てもその勢いがすごい。

厚生労働省の人口動態統計によれば、1971年は203万人、1972年も203万人、そして1973年は209万人(戦後最多)。翌1974年も202万人が生まれている。

たった4年で約817万人。それだけの数が同じ時代を生きているのに、普段の生活からその存在を感じない。

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厚生労働省  人口動態統計特殊報告より

ひとつは行動範囲の変化だろう。若いころは、みんな似たような場所にいた。ダイユー8、コンビニ、道の駅、夜のびっくりドンキーなどなど。偶然が重なる環境の中で暮らしていた。そう言う私も、用事のある場所にしか行かないし(笑)行く時間帯もそれぞれ違うし…。偶然が起きる余地が、日常から少しずつ消えているのです?

もうひとつは人生の分岐。厚生労働省の統計によると、50代前半の団塊ジュニア世代で、課長・部長といった管理職に就いているのは約25%。そして非正規雇用は約10%。つまり7割近くが“真ん中の層”として社会を支えている。年収も400〜600万円台が最も多く(全体の約4割)800万円を超える人は1割にも満たない。この厚い中間層が、会社や地域を動かす“見えない主力”になっている。

それでも最近はふと疑うことがある。本当に自分たちは「ボリュームのある世代」なんだろうか??数字では多くても、街で感じる熱や存在感は希薄だ。多種多様な経験を経て、それぞれ違う道を歩いている。私自身も、同世代と団結して社会を変えようなんて意欲はゼロです。いまさら声を上げようとも思わない。それは、長い“失われた30年”を生きてきたせいだろう。

バブルも、氷河期も経験。リストラや派遣切りも、SNSで過去を全部見てきた。結果、夢より現実を優先するようになった。

そして、もうひとつ大きいのがスマホの存在だ。昔は、街を歩けばみんな顔を上げていた。

信号待ちでも車の中でも、何となく周囲を見ていた。だから偶然があった。いまは、ほとんどの人が下を向いている。目の前に人がいても、互いに気づかない。街から人が消えたのではなく、視線が下を向いただけなのかもしれません。

さらに、買い物も映画も、交流までもがスマホの中で完結するようになった。

ボリュームはある世代だが、社会を変えるまでの力はない。それでも、経済的にも納税的にもこの国を支えている層。薄く見えても、社会を静かに支えている厚みなのかもしれない。

52歳、クルマを運転しながらふとそんなことを考える。見かけなくなるのも自然なこと。私たちは大きい世代だけに、他責思考に陥ってはいけないと、感じるきっかけにもなりました。

「社会が」「政治が」なんとかしてくれると思った瞬間に、自分で考える力を失う。それは、上の世代と同じ道をたどることになる。最低限の自主的なマインドを持ち、“これからどうするか”を常に意識して生きていく。その姿勢だけは持ち続けたい。

同じ団塊ジュニアでも、いろんな人がいる。そう、どうでもいい感じに流されて生きてきた団塊ジュニアもいれば、役職を持って組織のトップに立っているような団塊ジュニアもいる。どうしようもない中間層の団塊ジュニアもいるし、失われた30年を下層で味わってきた、私のようなペーペーもいる。

人のせいにするつもりはないけれど、あの時代を生きたら、そういう立ち位置になってしまうこともある。

かたや、起業して生計を立てている団塊ジュニアもいる。いろんな形があって、それぞれが正解。

 

そんな数が多い世代だけど…生息してるの??って話しでした。