Yahoo!ニュースで、兵庫県のトンネルで10代の男性が運転するバイクが事故を起こし、
後ろに乗っていた20歳の女性が亡くなったという記事を見ました。若いふたりが乗っていたバイク事故。
なんとも言えない…重い気持ちになりました。
「後ろに女の子を乗せていて…」深夜に2人乗りのバイク転倒 後部座席の女性が死亡 18歳大学生を過失運転致傷容疑で逮捕 神戸市(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
バイク事故のニュース、定期的に必ず目にします。そしてなくなることはない。
兵庫県とありましたが、どんな道だったのかはわかりません。ただトンネルが絡んでいると書かれていて、スピードが関係していたんだろうなと思いました。
おそらく100キロ以上は出ていたんじゃないかとおもう。40キロや50キロでは、最悪の結果にはならない気がします。
トンネルというのは不思議な場所。真っ直ぐ直線なら尚更…“スピードを出したくなる”
20代の頃、私も彼女を後ろに乗せてトンネルの中を走ったことがあります。※スピードリミッターが効くくらい。“絶対大丈夫!オレ、バイク上手だし”根拠なき若気の自信。何も起きなかったけど、今思えば本当に危険なことをしていた。振り返ると“ゾッと”します。
「集中と気合で大丈夫」なんて言い訳にもならない。
たまたま、何も起きなかっただけです。
もしあの時、何かの拍子でステアリングが暴れ直線で転倒していたら──この記事の彼のようになっていたかもしれません。
事故を起こした彼の心境を思うと、言葉が出ません。
一瞬で取り返しのつかない現実を作ってしまった。
これからの長い人生、その重さを背負って生きていくことになる…笑える時間があっても、心の奥には“あの日”がずっと残る。本気で心の底から笑える日は、もう来ないのかもしれない。そう思うとただ気の毒でなりません。
私は若いころは「自分は大丈夫」って思っていました。捕まらなきゃいい、事故らなきゃいい。そんな根拠のない自信を持っていた。今思えば、運が良かっただけ…それだけ。
何も起きなかっただけで、本当に紙一重だった。もし一度でも間違えていたら、今こうして五十を過ぎて、この文章を書いている自分はいなかったでしょう。
そして事故は、特別な人だけが起こすものじゃない。
誰にでも起きる、ほんの数秒の判断で。
特に若いころは、「怖さ」より「イキったカッコよさ」が勝ってしまう。その一瞬が命を奪ってしまうことがある。命は取り替えが効きません!
この歳になって、そのことがようやく分かります。
同世代の人たちなら、もう子どもが20歳前後という方も多いと思います。もしバイクに乗らない子だったとしても、親として、先に生きてきた人間として、
「昔こんなことがあって、たまたま助かっただけなんだ」そんな話をしてみるのも大事なんじゃないかなと思います。
私は“発信すること”を大事にしています。
それは武勇伝を語るとか、正しさを主張したいからじゃない。なぜなら沈黙していても、何も伝わらないからです…以心伝心はありえません。経験や思いを言葉にして残すことで、どこかで誰かの命を救えるかもしれない。たとえ一人でも、アクセルを少し緩めるきっかけになるなら、それでいいと思っています。
それが私の「発信する意味」。
事故を起こした彼を責める気にはなれません。
彼もきっと、昔の私の同じように「自分は大丈夫」だと思っていたはずです。
命があるということは、それ自体が奇跡。生きているからこそ、こうして伝えられる。
もしこの文章を読んだ誰かが、ほんの少しでもアクセルを緩めてくれたら、それだけで意味がある、そう思います。