体を動かして稼ぐという価値観の原点
労働=お金を稼ぐこと。
自分の中には、ずっと“体を動かしてなんぼ”という感覚が残っている。中学生の頃の新聞配達、高校時代のスーパーやファミレスのアルバイト…あの頃に根付いた価値観だと思います。
“時代が変わった”と言いながら、実は昔からあった働き方
よく「時代は変わった」と言われるけれど、実際は昔から“体を使わない仕事”は存在していた。公務員、団体職員、役所勤め。人並み以上に勉強して、試験に通れば辿り着ける安定と安心の室内の仕事。今になって振り返ると、あの働き方は令和になって突然生まれたわけじゃない。
挑戦しやすい時代と、“自分のコア”を探すということ
最近は誰でも挑戦しやすい時代に感じます。ただ挑戦できることと、自分に合うかどうかは別の話。若い頃、室内勤務で高収入を得る人を見て羨ましさを感じたこともある。でも同時に「自分だってやろうと思えばできる」と強がりつつ、人間味のある低収入のサービス業を選ぶ自分を肯定していた部分がありました。
社会はバランスで回っている。
全員が部長やマネージャー、全員が起業家でも社会は成り立たない。それぞれキャスティング、ポジションがあるから、そこで歯車が噛み合っている。(できる人できない人のバランスも)
だからこそ、人は“自分のコア”を探すために働いているのだと思う。
いまの働き方への疑問と前職との対比
最近ふと考えることがあります。「このままの働き方でいいのか?」「そもそも良い・悪いの基準ってあるのか?」現在の仕事はとにかく慌ただしく、働く時間はあっという間に過ぎる。気づけば夕方。今日も瞬間で終わった気がするのです。
それに比べて、前職の営業所勤務は時間が遅く、暇な時間が長かった。時計ばかり見る…あの“密度の薄さ”が懐かしい。同じ働くでも時間の質はまるで違います。
自分は“体を動かす働き方”に向いている
ひとつはっきりしているのは、自分は“体を動かす働き方”の方が圧倒的に向いているということだ。
動いていると頭が冴える。逆にパソコンの前にじっと座っていると、血流が悪くなるような感覚があって、思考が止まるーこれは前職で痛感した部分。
12時間以上の拘束時間と、人生の生産性
冷静に考える。朝の準備や職場までの移動、退勤前のおしゃべりを含めれば、1日の拘束時間は12時間を軽く超えます。
働いているあいだは濃密でも、人生全体で見ると“相当な時間を差し出している”ことに気づき軽く震えます。
生産性という視点で見ると、今の12時間/日の労働が5時間/日で稼ぎが同じなら爆上がりですよね。
ただ基準の8時間労働が変わらない限り、現実は厳しい。仕事の生産性は高いのに、人生全体では生産性ガタ落ち。いっけん稼げているようで、自由に使える時間は着実に削られているのです。
結局は働き方の基準は“自分のコアに正直でいられるか”
便利な時代で挑戦もできる。でも最後に立ち返るのは、この一点だと思う。
給料の多さや時代の流行よりも…そこがずっと大事、50過ぎて今更だけど…働き方・これからの生き方、自分の正直に近づけていきたいです。