dの日記

2023年50歳になる男の日記

雪の日の通勤で思い出す、あの頃の“無給の時間”

福島市にもついに本格的な雪が降りました。朝から湿った雪がしっかり落ちてきて、車の屋根には3〜4センチほど積もっています。路面凍結こそ無いけれど、視界も足元も一気に冬のモードです。

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今日は30分早く家を出発。地方は完全に車社会です、通勤時間帯は中心部に向かって交通が集中するので、少しでも時差をつけないと間に合わない。早く出れば余裕で着くけど、時間を外した瞬間に“全く動かない渋滞”に飲み込まれる。冬の朝はこれが当たり前です。

(7:00前に着⏰8:00から始業)

早く着くと心には余裕が生まれる。でも「この時間は自分の人生のどこに位置づけられるんだろう?」という感覚がどうしても残るんです。今ならスマホで本を読んだり、Voicyを聴いたりと多少は使い道があるけれど、前倒しで削られる時間そのものは変わらない。

雪が降ると、前職の通勤をよく思い出します。

あの頃は、郡山まで片道50キロ。乾いた路面でも片道1時間以上。冬になれば8時出勤に間に合わせるため、5時ちょいには家を出ていました。結果、1時間ほど早く着くけれど、時間を外せば一瞬で遅刻コース。毎朝ドキドキ。

冷静に計算すると、当時は

往復2時間 × 週5日 = 週10時間

月にすると 43時間、年間だと 516時間——

つまりです “年21日分を無給で差し出していた” ことになります。

当時私はアルバイト雇用、これはかなり特殊かもしれません。通勤手当なんてあってないようなもの。燃料代のほうが高くつく月が普通でした。

さらに、トラブルがあれば休みでも職場へ行っていた。往復だけで2時間、対応に2〜4時間。月に1回でも発生すれば、年間で2〜3日分はそのために消えていく。完全なボランティア労働です。

この辺りは私の性格もあります…氷河期・軍隊気質の組織の経験で身についた精神だと思います。

雪の朝にハンドルを握りながら思い出すのは、そんな“無給の時間”の積み重ね。

通勤が悪いとかそういう話ではないけれど、あれだけの時間をかけて、生活の基盤を支えるために働いていたんだなと、いま振り返ると…なんだかね。

昨日、床屋さん✂️で感じたこともあります。世の中には“通勤という概念そのものが無い働き方”が存在するということ。テレワーク、自営、家で完結する仕事…。良し悪しではなく、単純に「自分の時間をどう使うか」という視点の幅が広がるんじゃないかって。雪の日の通勤は、いまの自分の生活の構造を考えるきっかけになります。

削られていった時間に気づくと、これからの働き方や生き方について考えた朝でした。