dの日記

2023年50歳になる男の日記

“弱者の時代”を越えて②

◇雪の朝、7時前に着いてしまう通勤のリアル

❄️今日はいつもより早く家を出ました。

雪の日はとにかく読めない。結局、混むか混まないかの“際”を攻めるくらいなら、少し余裕を持って出発するしかないんです。

到着…気づけば、まだ7時前。仕事は8時からなので、ざっくり1時間以上の空白ができてしまう。効率を考えれば、本当に無駄な時間。しかし、この“無駄”があるからこそ遅刻しないという現実もあるのです。

車の中で外を見ながら、ふっと思ったんです。この見えない調整や、余白の時間も含めて“働くことの一部”なんだよなと。そこで感じたのは、ボーナスって、働く人の「見えない努力」まで含んだ報酬なんじゃないのか??と。

f:id:desuke41:20251212071803j:image

昨日も話しましたけど、賞与って人によって捉え方は違います。頑張った対価だと思う人もいれば、会社に費やしてきた時間への評価だと感じる人もいる。

自分は今朝早く着いた1時間の中で、“こういう見えない努力も含めて賞与ってあるんじゃないか”そんなことをふと思ったのです。

雪の日に早く家を出て、薄暗い道を走って疲弊する、でも誰もそれを数字にはしてくれないし、残業にもならない。でも働くための移動や準備って、全部つながっているわけです。

この部分を対価としてみなすのが、賞与なんじゃないか⁇そんな腹落ち感があったのです。

◇組織に属するなら「賞与があるかどうか」は大事な基準

ここで改めて思ったのが、会社組織に属する以上、賞与があるかどうかは大きなポイントだということ。

もちろん情勢によって金額が変わるのは当然。出る年と出にくい年があっても、それは理解できます。

でもですよ、そもそも賞与という概念がない職場って、自分にとってはやっぱり違うし“無い”。

“もらって申し訳ない” “私のような人材に…”そんな気持ち、1ミクロンも感じなくて良いのです。

賞与なしの働き方を否定はしません。働き方は人それぞれだから。

しかし、「会社に属する」という選択をするなら、賞与があることは必須なんじゃないかと今は思っています。

長いこと賞与なしで働いてきたからこそ、今わかることです。自分は以前、通勤にものすごく時間を使っていたことがあります。片道だけで疲れ果てるような通い方で、それなのに賞与は一切なし(アルバイトだから当然ではあるが…)

自分も50過ぎて、今さら何を言ってんだと思われるかもしれない。けどここに来てようやく、自分の働き方の基準がはっきりしてきた感じがします。

もちろん、賞与があってもブラックなら即退社ですよ!心身を削る場所にいる必要なんてありません。

働く場所を選べるなら、「賞与がある会社に身を置く」これは、自分の未来を守るための一つのファクターなんだと思っています。

みなさんはボーナスに対して、なにか考えた事ありますか?もらって当然ですか?