いつも以上に、「年末だなぁ」っていう切迫感があまりしません。とにかく暖かい!夜の配達で外を走っていても、身構える寒さを感じしません。でもカレンダーを見ると、今年も残りあと10日なんです。
頭では理解しているのに、体の感覚が追いついてこない…そんなズレ有り。
土曜日と日曜日は遅番、仕事の流れで夜の福島駅東口を通る。平日とは明らかに違う人の量。若い人、カップル、自分と同じくらいの年代のグループ。駅から飲食店のある方へ、吸い込まれるように人が自然に流れる。
パセオ通りはイルミネーション。例年通り車は軽く渋滞、イラつくノロノロ運転も「世の中はちゃんと年末に向かっているのか」と、感じさせてくれます。
“賑わっている”…でも自分が20代、30代だった頃の駅前と比べると、やっぱり人は少ない。
現役世代の数が減った分当然で、一人ひとりの存在がやけにくっきり見える。
その中で、どうしても目に入ってくる人たちがいます。いわゆる“ヤカラっぽい”風貌の人たち。
髭を伸ばし、威圧するように周囲をゆっくり見渡す、あの独特の動き。“どこで教わるの?”時代が変わっても、そこは不思議と変わらない。引き継がれるDNA。
イキってなんぼ。舐められたら終わり。だから「俺、ヤバいよ」感を、いかに効率よく放てるかが重要になる。
セカンドバッグ、やたら白いスニーカー。隣にはアクセサリーのように寄り添う女性。
彼女=オレのステータス、という無言の主張(ウケる)
別に何か悪いことをしているわけじゃない。犯罪の匂いがするわけでもない。社会的には、普通に働いて税金を納め、家庭を持ったマイルドヤンキーかもしれない。もしかしたら経営者だってあり得る。
それでも、違和感は残る。表通りの真ん中じゃなく、少し外れた場所。裏路地の入口付近や、人の流れから半歩ずれたところに立っている。人が少なくなった今の駅前では、そういう存在感が余計に際立つ。
思い返せば、私の若い頃もこういう人たちは確かにいた。いや!?今よりずっと多かった気がする。駅前だけじゃなく、地方にかかわらず街のあちこちに「何をしているのかわからない人たち」が普通にいた。時代は変わっても、構図そのものはあまり変わらない。
年末になると、人が街に出る。人が動けば、空気も一緒に動く…その流れの中で、こういう人たちが目に入ってくるのもある意味、社会バランスの調和⁈自然なことなんだと思います。
怖がる必要はないし、排除する話でもない。ただ、「あれ?」と感じ取れる感覚。それは、自分の身を守るための、地味だけど大事なセンサーみたいなもの。

※イメージ
環境適応能力にサバイバル能力、でも実際はもっと生活に近い話で、夜の街の空気に気づけるかどうか。それだけのことです。
“ヤカラは嫌い”と思う一方、でもあの存在がいるかどうかで、街の“今”が分かる気もしている。
社会を測る物差しとしては、案外必要な存在なのかもしれません。