「なぜ働いていると本が読めなくなるのか 」という本を読みました。正確に言いますと、まだ全部をじっくり読み切ったわけではない。日本人と本、時代背景の章などは正直さらっと読んだ部分も多い。
それでも、この本は「なるほどな」と何度も思わされる一冊でした。

明治・大正・昭和・平成、そして現在。それぞれの時代で、本というものが日本人にとってどういう存在だったのか??単なる読書論ではなく、社会の空気や働き方と一緒に描かれている点が、この本の面白さだと思いました。
戦前から戦後にかけて、本は 「修養」であり「社会に参加するための道具」、知らなかったことを知ること。社会を知り自分を知ること…コントロール欲求よりも、探索の欲望があった。
しかし社会のことを知っても、それがすぐに自分の生活に返ってくるわけではない。
それよりも「どう役に立つか」「どう成果につながるか」「どう行動に落とせるか」で、「教養」として重視されるようになった。
特に印象に残ったのは、最終章。おそらく著者の 三宅香帆 さんが、いちばん言いたかった部分なのだと思う。かなり詰め込まれていて、読みながら何度も読み返しました。
「どうすれば本が読めるようになるのか」
その答えを、個人の努力や根性論に押しつけてこないとこには安心。本の中で語られる、日本社会の働き方。特に「残業ありき」の就業スタイルの話は、現場にいる人間として腑に落ちる部分が多かった。
そもそも日本の企業では、仕事が終わらないから残業をする、というより残業代を含めた形で就業スタイルが組み立てられている。
景気が悪くなれば、残業を減らして調整する。いわば残業は“バッファー”(賃金の余裕)として使われてきた。なるほどなと。
もちろんそんな仕組みの話は、働いている一人ひとりにとっては関係ない。ただ、「なぜ疲れて本が読めなくなるのか」その背景を知るとことができるのです。
もう一つ、この本で強く残った言葉がある。それが「全身全霊ではなく、半身でいく」という考え方です。これは、今の自分が考えているライフスタイルにも通じるものがあぅたのです。
一日24時間。これは誰にでも平等に与えられている。その中で、ただ働いてタスクをこなすだけなのか。それとも、人生に少し厚みを持たせる時間配分ができるのか。
全身全霊で向き合う場面が必要なことも、確かにあります。でも、日々会社組織で働き続ける中で、常に全身全霊を求められるのって、無理ありますよね。
一日8時間では終わらない仕事。それが週5日続く。やらなければ収入は得られない…現実って、なかなか簡単ではない。
それでも「半分でいこう」という気持ちを持つこと。そして、それを少しずつ行動に移すこと。結論は、「そうすれば本はまた読めるようになる」ということだったのだと思う。全部を完璧にやらなくていい。
全身全霊じゃなく余白のある人生、本を読めるくらいの余裕こそが幸せな人生なんじゃないのか?単に“How to”本ではなく、社会で働く一人ひとりに向けての『問い』なんじゃないかって…そう思えただけでも、この本を読んだ意味はありました!
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私の全身全霊は『バイクでぶっ飛ばす』時ぐらいですw