dの日記

2023年50歳になる男の日記

体幹トレーニングが教えてくれた「やる側」という立場

◇たった1時間の体幹レーニン

通っているスポーツジムで開催された「体幹レーニング講習会」に参加しました。たった1時間です。

それなのに、こんなにもキツい時間だと感じたのは、普段の運動がいかに“ゆるかったか”を突きつけられたからだと思います。

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◇「通っている」と「やっている」は違う

ジムに通っているだけでは、当然ながら効果は出にくい…。「やっている」という自己肯定感は生まれるかもしれないけれど、それは結果とは別物。セルフブラックを作れるか作れないか。結局これって、やるか、やらないか。そう考えると、人生の局面に当てはめても不思議じゃない話だな⁉︎と感じました。

◇レース活動が教えてくれた前提条件

私は以前、オートバイレース活動を通じて、フィジカルトレーニングの習慣を身につけることができました。パーソナルが付くわけでもなく、腹筋が割れるレベルでもありません。高額なジムではなく、安価な市営の体育館にあるトレーニング室に通っていました。

それでも今も運動習慣を続け、健康意識だけはそれなりに高いおじさんでいられています。

◇若ければ若いなりに体は動く。

アスリートの世界を少しでもかじった人間なら、トレーニングが必須だということは嫌でも分かりますよね。私は球技や走ること、泳ぐのも苦手で“なんだかなぁ”という小中学生。ですがバイクという道具を使うと、“普通”より上手に乗れる…少しだけ相性がよかった、自分に自信が持てました。

◇監督の一言にドキッとした話

レーニングを強烈に気づかせてくれたのが、当時の監督からの言葉。「速く走るためのマシンセットを組み立てるうえで、ライダーがトレーニングしている前提で進める」正直、ドキッとしました。気合いと根性だけじゃ、すぐ頭打ちじゃん、と。

もちろんセンスの話もありますよ!でもここが一丁目一番地なんだ、と腑に落ちた瞬間でした。

◇細く長く続けるということ

100キロのダンベルを上げるわけじゃない。

それでも“細く長く続ける”ことが、今の自分を支えている。あの経験が今も生きています。よくレースを辞めた、その競技を辞めたでトレーニング終了する人がいる。攻めなくていい、習慣として続けたら先は明るくなると思うのだが…燃え尽き症候群の類いでしょうか。

◇本気のブラックなら去るべき

働く組織が本気のブラックなら、そこは去るべきだと思います。それは覚悟の問題でも根性論でもなく、単純に合理の話。

経営者の立場から見れば、「セルフブラック」なんて当然の行為なのかもしれない。成果を出すために時間も体力も注ぎ込む。それ自体を否定するつもりはありません。ただし、自分が疲弊し、健康を害してまで続けるのは本末転倒です。壊れてしまえば、元も子もありません。

◇余白を持つという選択

先日読んだ『なぜ働いていると本を読めなくなるのか』の記事でも書きましたが、やはり余白を持つことは重要だと感じています。

余白というのは、サボりでも逃げでもない。考える時間であり、回復する時間。次の一手を選ぶためのスペース。

セルフブラックが意味を持つのは、自分で選んでいること。また引き返せる余地があること。この条件が揃っているときだけだと思います。

体幹レーニングと人生は似ている

組織から強いられるブラックと、自分でコントロールできる負荷は似ているようで、まったく別物。

体幹レーニングも同じでした。キツいけれど、終わりが見えている。無理をすれば止められる。もちろん強くなる為には“追い込まれる”ときが必要な場面もある。あくまでも自分でコントロールできる範囲で。期日に間に合わせる・パーソナル付きトレーニング・ヨガのレッスンなど、やるやらない選べる。内発的か外発的かの違いのブラック。心が蝕まれるのは健全なブラックではない。

◇本が読める時間をつくる

本が読めるくらいの時間をつくる。それだけの余白を持てているかどうかで、人生の立ち位置は変わる気がします。人生において「やる側」に身を置くこと。

それができていると、不思議と自己肯定感が生まれる。誰かに評価される前に、自分が自分を認められる感覚です。

◇2026年も、やる側に身を置く

やる側に立つことで、少しずつ尖りができ「何者でもない自分」を、「何者かに近づけてくれる」そんなふうに感じています。

2026年も、私はやる側に身を置きます。もちろん無理はしない。でもやらない側にも戻らない。

細く長く…余白を忘れず、それでも前に進む。それが今の自分に合った生き方だと思っています。