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【読書】『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』第九章 読書は人生の「ノイズ」なのか?—2010年代

先日から読んでいる『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』年代別で構成され、日本人と読書の関係を時代背景から描いた章(9章)を、じっくり読んで要約しました。

人生の勝算を上げるには、コントローラブルなことに手間をかけたほうがいい。アンコントローラブルなものは切り捨てる。この時期の労働小説やビジネス書の傾向は「行動重視」だった。

新自由主義とは、「できるだけ国は口を出さず、市場(競争)に任せたほうが社会はうまく回る」

という考え方。同時に、個人の自己決定能力・自己責任が重視される。

1990年から2000年にかけて、民営化や金融自由化が増えた。“自分のせい”と感じた出来事も、一昔前なら「社会のルールに問題があるのでは?」と発想したかもしれない。

しかし、自己決定能力・自己責任を強く意識する人が増えることは、組織や政府にとって都合がいい。社会のルールを疑わず、市場の波に乗ることだけを考えるからです。

でもこの考え方、働き方改革が進む今の時代には、必ずしもそぐわなくなってきている。

副業・個で生きる。「好きなことで生きていく」。終身雇用に頼らず、ブラックに搾取されず、投資をして、老後資金は自分で稼ぐ。それこそが、働き方改革との引き換えに個人へ差し出されたものだった。

SNSが普及した2010年代。それが読書量に影響したかというと、そうでもないらしい。むしろ「仕事や家庭が忙しい」という調査結果が多かった。

「観る」と「知る」は、違う体験である。

①読書は、ノイズ込みの知を得る。

②情報は、ノイズを削ぎ落とした知を得る。

自分と直接関係がない情報は「ノイズ」とされ、ファスト教養として批判されることもある。だが、一般教養として後から生きる場面も確かにある。

完全にノイズ性を排除した情報だけで生きることはできない。仕事以外の文脈を思い出すこと。そのために、ノイズを受け入れること。それが働きながら本を読む一歩なのではないか。

遠く離れた文脈に触れる…それが読書だ。

働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がなくなっている。

では、働きながら本を読める環境とは何か。それは「半身」で社会と関わることではないか。「本が役に立つかわからない」と言う人がいる。それはつまり、「今の自分の文脈に、すぐにつながるかわからないくらい遠い」と言っているだけだ。

だが、この世の知識はいつかどこかでつながっている。

働きながら、働くこと以外の文脈を取り入れる余裕がある。それこそが健全な社会だと著者は語っている。

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