紙一枚読書法で読んでみました。そもそも“怠惰”という言葉と意味、知ったのもここ数年前。
怠惰:[すべきことをなまけて、だらしない性質・様子]
いっけん生産的に動いているようで、それは社会に蔓延した『怠惰なウソ』である。
私の問い、「休むことに罪悪感を感じてしまうのはなぜか?」 「本当の怠惰とはなに?」です。
目次から結びつきそうな、「第7章 社会の“べき”を払いのける」、「結び 共感で怠惰のウソを終わらせる」が目にとまりました。
私の答え、「お互いに共感で怠惰のウソを終わらせる」 「自分に優しく・人にも優しく」です。
◇なぜそう思ったか
- 共感によって怠惰と思われることが、どうでも良くなる。
- 自分が休むことの罪悪感は、生産性が善と考えないことで軽くなる。
- 社会に蔓延した怠惰に気づくこと。
◇具体的には
- 世の中の“べき論”に振り回されない。
- 変な人にも優しくする
- すごい人と自分を較べない。
◇どう活かすか
- 共感的な好奇心を持つ。
- 罪悪感を持たない
- 憧れを抱きながら追いかける。

この本は単なる批判ではなく、「休むこと、立ち止まることが人間の自然な行動として正当だ」と認める視点を与えてくれました。
「怠惰のウソ」とは、“人の価値を行動量で測る思想”そのものです。
⭐︎⭐︎
私の雇用スタイルを振り返ると、みなし残業をつけられたポジションにいた時期もあれば、派遣社員やアルバイト、末端中の末端の立場で、先回りを求められていた時期もあった。頼まれてもいない事務仕事を、家に持ち帰ることもたくさんありました。立場は違っても、やっていることは大きく変わらなかった…給料・時給の発生していない、自分の時間を差し出す“良かれと思ったその行動”…これこそが怠惰なのではないのか?
一生懸命であることが正解。結果より過程重視、プライベートの時間をどれだけ仕事に突っ込めるかが、自分が勝手に決めた評価軸。場合によっては身銭を切ることさえ美徳になります。
20代・30代。そんな空気の中、疑問を持つ余地はほとんどなかった。上の世代の背中を見て、それが当たり前だと思わされてきた。ひいては、それが日本社会そのものの姿。私たちは、やり方をそのまま自分の中に引き継いでいた世代だったと感じています。
「生産性=善」という考え方、少し見方を変えていきます。
休みの日でも仕事のことを考え、休みを取らずに、ずっと働き続ける。そういう意識・行動を誰しも一度は持ったことがあると思う。
でもそれは多くの場合、他人からどう見られるか、どう評価されるか、という軸の話であって本当の意味での自分の幸せにあまりつながっていない。
むしろ、常に頭のどこかで仕事を引きずりながら動くことは、働き方としても、決してパフォーマンスの高い状態とは言えない気がする。
休むことでリセットされ、距離ができるからこそ見えるものもある。立ち止まることで、ようやく自分の状態に気づけることもある。働き続けることが正解だった時代を生きてきたからこそ、いま一度、「自分にとっての働き方」を考え直すタイミングに来ているのだと思いました。みなさんはどうでしょうか?