◇110円のジュースに感じた違和感
職場でよくある“自販機のジュースをおごる”という行為。
環境にもよりますが、私の若い頃はよく先輩や上司にご馳走になりました。
最近ではどうなのでしょう!?
あまり目にしませんし、自分からも“驕る”行為はほぼなくなりました。
移動中や小休憩時。特にわざとらしさを感じることもなく、自然な流れとして受け取っていました。
ただ最近になって、おごる側の裏の真意として、相手を買収とまでは言わないまでも、小さな「支配」をしているのではないかと、今さらながら感じるようになりました。
私が社会に出た30年前なら、普通にあった話です。
ただ、共通して言えるのは、私から見て「違和感のある人間」が多かったということです。
◇2000年初頭の工場の下請けでのこと。
依頼先の正社員には絶対にやらせたくないハードな内容(tを人力で運ぶレベル)を任されていました。
当時の責任者は、私を辞めさせたくない(大変になるから)。人余り時代でしたが、次々入ってくる新人を1から教えるのはダルいはず。よって休憩時、毎日のようにジュースが出ます。
「あっ、ありがとうございます!」
……安いものです。
もちろん最初だけ。仕事に慣れて、足元を見られるようになったらなくなりました。
私はこの頃オートバイレースをしており、この派遣会社に「サポートしてくれ」という企画書を出していましたが、ちなみに空振りでしたね。

◇怒鳴るための110円
その後の職場、少人数の営業所での年上の先輩社員の話です。
言うことは達者ですが、仕事は口だけ。影では悪口とどうでもいい情報を垂れ流すタイプの人でした。
私がミスをしたり、彼の気に触ることがあれば怒鳴り散らす。不思議と対面ではキレない。なぜか電話口での叱責ばかり。
彼自身、営業で外に出れば「ぶらリーマン」。営業所一人出番の時はプラモデル作り……。所員や会社からの評価は高くありません。
そんな彼ですが、私と一緒の移動では、「おう、なに飲む!?」と自販機前でスタンバイし、必ずジュースを出すのです(他のメンバーにも)。
裏の意図を見ると、定期的に怒鳴ることを肯定させ、面倒な業務(来店者の対応・担当以外の業務を丸投げ)を、それとなく担保する行為に他ならない。
数百円で済むなら、安いものです。
◇110円が“効いてしまう”条件
「おごる」という行為そのものは、善でも悪ではありません。
ただ、110円のジュースが“効いてしまう”条件は単純です。
* 上下関係や依存関係がすでにあること
* 拒否しづらい形で差し出されること
* 見返りがその場で回収されないこと
雇用、評価、仕事の割り振り、怒鳴る権利を持つ側が出す110円は、喉を潤す飲み物ではないのです。
「俺は面倒を見ている」「貸しを作っている」という無言のメッセージが添えられているんじゃないか。本来は信頼を生む仕組みが、小さな支配という補助役になっているのです。
◇ 若い世代は気づいている
直近で、職場の新入社員(19歳)に真夏、「暑いからジュース飲もうぜ」と声をかけたら、考える間もなく断られました。
それは構いません。もしかしたら……彼らはすでに理解しているのかもしれません。
「何飲む?」と言われたら断れない。
だからこそ、違和感のある相手からは断る勇気が必要。
この時、彼に違和感を与えたのかもしれません。私が若い頃の受け、後に気づいた違和感を。
彼らは空気を読まないのではなく、裏側まで読んでいるんじゃないか。
「おごられる=何かが始まる」ことを、直感的に理解していると感じました。(私の考え過ぎ?)
だからこれは、「若者がケチになった」とか「人付き合いが希薄になった」という話ではなくて、買収が安すぎた時代が終わりつつある、という文化の変化なんじゃないのかと。
◇断れないなら、取引を成立させない
じゃあ、どう断るか?大げさな拒否や理屈はなしで、目的はひとつ。「取引を成立させないこと」です。使える言葉は、意外とシンプルです。
* 「大丈夫です、今いいです」
* 「今日は自分の分でいきます」
* 「最近あんまり飲まないようにしてて」
* 「ありがとうございます、お気遣いなく」
* 「いいです、水筒持ってきてます」
そして大事なのは、間を置かないこと。
0.5秒以内に返す…!(重要)考えた瞬間、「迷っている」と読まれます。逆に使わない方がいい言葉もあります。
* 「悪いですから」
* 「次は自分が出します」
これらは取引を成立させてしまいます。

◇20代の頃は、それでも違った
たかが缶コーヒー、されど缶コーヒー。
その裏にある心理的な意図を、今さらながら感じています。
もちろん、すべてがそうだという話ではありません。
純粋な感謝や労いの気持ちからくる「差し入れ」は全く別物です。それはコミュニケーションの潤滑油として、今も昔も変わらない大切なものだと思います。
ただ、私が感じたのは、そこに「見返り」や「支配」の意図が透けて見えた時の違和感なのです。
振り返れば20代の頃、缶コーヒーに限らず、職場の先輩からよく週一の頻度で夜ごはんをご馳走になりました。先輩も独身だったし、支配というより「仲間意識」とコミュニケーションの一環って感じでしたね。
時代背景もあったのかなぁ……。現場仕事は人海戦術が多かったし。
今の若い人たちはどうなんだろう。コロナ期間もあったし、気になるところではあります。
最近目にしないし自分がすることもない、小さな“おごり”、当時の違和感の記事でした。
(あっ!自販機での缶ジュース、調べると1992年ぐらいから110円なんですね!今は120円が普通かも。)