まだ序章しか読んでいないのですが…この本は序章からして、かなりズバッと響くものがありました。語られていたのは、外国人記者から見る、日本における民主主義の成り立ちについてでした。
日本人にとって民主主義というのは、アメリカから入ってきたもので、現代人が気づいたときにはすでに、そこにあった感覚です。私たちの世代にとっても、民主主義は「勝ち取ったもの」ではなく、最初から用意されていた前提でした。
ヨーロッパのように独裁政権と対峙し、ときには命を危険にさらしながら、民主主義を勝ち取ってきた、そういう歴史とは違います。その影響もあってか日本の教育現場では、民主主義について十分な教育がされてこなかったのではないか、そんな指摘がされていました。
議論すること。意見を持つこと。異なる考えをぶつけ合うこと。そうした力よりも、「和を乱さない」「調和を重視する」そういった姿勢が、一方的に重んじられてきた。
その結果として、政治への関心は薄くなり、関心が向くのは、会社のことやビジネスのことばかり。
ましてや、世界で何が起きているのかなんて、なかなか関心を持てない。そういう日本人像が浮かび上がってきます。
メディアについても、思い当たるところが多くありました。日本の報道は、どうしても国内中心です。
犯罪、スポーツ、天気予報。もちろん大事な情報ですが、世界の現場で何が起きているのか、その奥行きまで伝えているかと言われると、疑問が残ります。今は、BBCやCNNなど、海外メディアから情報を得ることもできます。
日本では受け入れても、「他国の視点の報道は信用しない」そんな空気がある国もあります。
結果として、アメリカの報道をそのまま受け取り、アメリカの価値観に従順な国になってきた。そう言われると…思い当たる節は少なくないのでは?民主主義がきちんと養われてこなかった。確立されてこなかった。そういう指摘なのだと思います。
だからこそ、日本のジャーナリストが、あえて遠い危険地に行く意味がある。それは日本のジャーナリストの視点だけでなく、日本人自身の感覚や感性を、問い直すためなのではないか。
そんな問題意識が、序章の中で語られていました。
中東で起きている出来事は、決して遠い話ではありません。政治的にも経済的にも、日本は直接影響を受けています。
イスラエル・パレスチナ、ガザの取材についての話も、まさに現地に行ったからこそ聞けた声でした。
故郷を取り戻すという大義だけではなく、行き詰まりどうしようもなくなった若者たちが、死に場所を求めて集まってくる現実。ハマスからの見舞金を目当てに、デモに参加する人たちがいるという内情。
こうしたことは、現場に行かなければ知り得ない。それでもパレスチナの人たちも、幸せに暮らしたいし、家族を大切にし将来に夢を持って生きたい。その思いは私たち日本人と、何も変わらないのだと感じました。序章で投げかけられているのは、とても根源的な問いだと思います。
幸せとは何か。生きるとは何か。家族とは何か。自由とは何か。支配とは何か。人間の尊厳とは何か。
そして、自分はどう生きるのか。
ジャーナリストが危険を冒して現場に行く意味は、単に情報を集めるためではなく、こうした問いを社会に投げ返すこと。

日本人拘束の報道を見たとき、「なんでわざわざ危険な地域に行くんだよ!」「日本政府を困らせるなよ!」ぶっちゃけ、当時はそう思っていました。
でも、今回この本を読みすすめ、危険地報道やジャーナリストの役割について考える中で、少しずつ見え方が変わってきました。大半の日本人には、まだ根付いていないように思える「生」に対する問い。
自分を客観視するきっかけになり、ひいては生きる意味そのものにつながっていくのではないかと感じました。安全な場所にいるからこそ、考えなくて済んでいた。
当時の自分の反発や違和感も、間違いだったとは思っていません。
その感情の奥にあったもの。今の自分だからこそ、この本から見えそうです。