団塊ジュニアの身体に残る働き方、私の記憶。
確かにおかしい。
周りから見れば、違和感を覚える就業スタイルだと思う。自分でもわかっている。
それでも私たちの世代は、そうした働き方を当たり前として刷り込まれてきた。疑うより先に体は職場に来ている。考える前に、その空気に合わせてしまう。
一定数、こうした人間が存在するからこそ、今の社会が回っている面もあるのではないか⁈そんなふうにも思っている。だからといって、若い世代に同じことを求めたいわけではない。むしろ、このまま年月が過ぎれば、それはただの「老害」になってしまう。
役職がある人間、組織のトップ、最終的に責任を取る立場なら話は別。なぜならリターンがあるから。
私のように、末端の立場で組織の一つの駒のような存在が陥ってしまう、歪んだ「頑張り」…。そんな働き方について書いた記事です。
✅早く来るのも、残るのも「当たり前」だった時代
10時出勤の日だったが、家を出たのは8時20分だった。昨日は8時前だ。
日曜日なので、普通に考えれば15分か20分もあれば職場には着いてしまう。いくらなんでも早すぎる…自分でもそう思う。コメダ珈琲かスタバで気持ちを整えたいところだけど、混雑していると避けてしまう。
通常出勤なら、ここまで早く出ることはない。ただ、10時出勤のときはなぜか早く家を出てしまう。自分の中では、これは“あるある”だ。
✅時間前着手が許されなくなった職場の現実
前提として、今の職場では「時間前着手」は厳しくなっている。働き方改革の影響もあるし、会社としては当然の判断だと思う。
始業前に仕事をして、もし怪我やトラブルが起きた場合、会社は責任を持てない。就業管理の問題にも直結する。
実際、あまりに早く行き過ぎ、事務所内にいるだけで、「まだ出勤時間じゃないのに、どうしているんですか?」と管理者から声をかけられることもある。
大きな組織だからこそ、グレーを許容できない。まぁ、理解している。
✅それでも、顔を合わせて空気を知りたい。
だからといって、始業前に作業をしたいわけではない。そうではなく、早番のメンバーと顔を合わせて、ほんの一言二言、今日の流れを感じ取りたいだけだ。
10秒、長くても20秒。それだけで、その日の仕事のイメージが掴めることがある。
人間はテレパシーで意思疎通できるわけじゃない。言葉にされた情報、表情、空気感。そういったものを少し吸ってから仕事に入りたい、という感覚です。
✅人間がやる仕事である
10時出勤なのだから、10時に来て、そこから一気にアクセル全開にしろって?理屈ではそうだ。でも人間がやる仕事である以上、ミスの誘発につながる。だからこそ、気持ちの準備としての“余白”が欲しくなる。
✅団塊ジュニアに刷り込まれた感覚
この感覚は、若い世代にはあまりないのかもしれない。ギリギリに来て、タイムカードを切る(もちろんセーフ)それ自体は、今の時代としては正しい。
一方で、私たち団塊ジュニア世代は違う。90年代から2000年代、「早く出勤するのはやる気の表れ」「終業後、残って当たり前」そんな価値観を見て育ってきた。
朝早く来るのと同じように、仕事が終わってからタイムカードを切り、そこから事務仕事やミーティングをする。売り上げの話をしたり、時には世間話をしたり…賃金は発生していないのに、生活の時間は押されていく。
当時はごく普通の光景だった。今思えば不自然…。
一生懸命やっているように見えて、数字にもならない。自分の命の時間を差し出し美徳を得る。これこそが怠惰である。サボっているという意味ではない。考えずに、空気に流されて命の時間を差し出す怠惰だ。
✅同調圧力という名の空気
加えて言うなら明確な「同調圧力」もあった。上司がやっている。同僚もやっている。だから、これは当然のことなんだと。
私たちが社会に出た90年代初頭、その空気は疑われることなく存在していました。
それを今さら「間違っていた」と切り捨てるつもりはない。当時からどこか不自然さを感じていました。
しかし、社会は今までそうした無償の余白に支えられて回ってきた。そして現在でも、私のような“怠惰のウソ”を刷り込まれた世代が社会を回している一面もあるんです。(※最近この手の本を読んだので余計感じる)
今は変わりつつある。終わったら即帰る。ダラダラ残らない。それは真っ当なスタイルだと思う。
問題はその変化の途中で、人間の準備や気持ち切り替えまで切り捨ててしまっていないか?ということではないでしょうか。
✅私自身の話として
私が20代後半、店舗主任をやっていた頃、休みでも当然のように職場に顔を出す。売上のチェックと、やってる感のアピールです。それは上司、先輩の姿を見ていたから。
派遣社員時代、工場内の大まかなレイアウト変更があった。派遣エリアは乱雑な状態…『これ、誰やるんだよ…』私は責任者ではない。翌日から現場を回すために、自分の保身にもなる。そして誰もいない作業場を整えた。社員でもないのに…当時はそれを特別なことだとも思っていなかった。
その後、往復50キロ通勤していたアルバイト時代。福島市と郡山市を往復したあと、伊達郡や耶麻郡までクレーム処理に何度も向かったこともある。タイムカードを切り、時間外(サービス)で。また不良債権回収で、相手の“自宅前”で張り込み?、もっと言えば待ち伏せしたこともあった。
「社長、いつまでいくら入金できるんですか?今現金でいくら払えますか!」
「払っていただけないと私がクビになります…そうなったら他の仕事用意してください!」
言ってるこっちも身が擦り減る感覚でした。後にも先にもない経験ですけど(笑)
“先につながるかもしれない” “社員雇用につながるかもしれない”
そんな期待を、自分の中で勝手に膨らませていた。今思えば、ほんとに馬鹿馬鹿しい。
夜勤のコンビニアルバイトを終えたあと、休業日の事務所に立ち寄り、そこから他県に対応に向かったこともある、もちろん寝ないで。
“トラブルが自分の時間を差し出し解決するなら喜んで”
一生懸命だったのは確かだ。でもそれは、評価にも、数字にもならなかった。自分の時間と体力を削るだけでした。今ならはっきり言える。アホだよね。
みなさんはどう感じますか?あなたも先回りした賃金を生まない働き方をしていますか?

一生懸命にやっていた、それ自体は否定しない。その一生懸命は、本当に自分で選んだものだったのか?疑問を持たず、空気に従い、「一生懸命」という言葉で思考を止めていた。これこそが最大の怠惰だと、今さらながら気づいています。これからは、意識的になくしていこうと思っています。