最近読んでいる『スマホ時代の哲学』ですが、第2章を読みました。第1章に続き、この章もなかなかボリュームがある…そして難しさも感じます。
ただ、内容としては本題に入る前の「哲学との向き合い方の説明書」のような章でした。
結論『自分の頭で考えは抜けがあり、哲学を断片的にいいとこ取りしても意味がない』
どうやらこの本の本丸の議論は第3章に感じます。そもそも哲学とは何なのかという部分を整理してみました。
一般的に「哲学」と聞くと、“自分の頭で考える”イメージがあります。しかしこの本では、かなり意外なことが書かれていました。“哲学とは自分の頭で考えるものではない”少し驚きました。
理由として挙げられていたのが、自力での思考には限界があるということです。自分の頭だけで考えていても、結局は平凡な発想にとどまりがちだと言います。
さらに、「自分の頭で考えているかどうか」にこだわる人ほど、実は大切な論点を見落としてしまうとも書かれていました。
たとえば…
・私たちはどうやって考え始めているのか・何のために考えているのか・考えた結果どこに向かおうとしているのか。こういった視点です。
ここで例として挙げられていたのが陰謀論。インターネットの断片的な情報をつなぎ合わせて、自分なりのストーリーを作り上げてしまう。確かにそれも「自分の頭で考えた結果」かもしれません。しかし、それは中途半端な思考にすぎないと指摘されています。この説明には、なかなか納得感がありました。
では哲学とはなんぞや?著者はこう説明しています。自分の頭ではなく、他人の頭で考えること。
ここでいう「他人」とは、2500年にわたる哲学者たちのことです。彼らの思考や想像力を借りながら、知識と想像力の両方を使って考える。
つまり哲学とは、過去の思考の蓄積を借りて考える力を育てていく営みなのだと感じました。
そのため哲学書を読むときには、いくつか注意点もあるそうです。まず、同じ言葉でも哲学者によって意味が違うことがあります。概念の違いを無視すると、議論そのものがズレてしまいます。また、都合のいい部分だけをつまみ食いする…いわゆるチェリーピッキングも危険です。哲学は文脈の中で理解しなければならないからです。
そしてもう一つ面白い表現がありました。自分の中に「他者」を住まわせる感覚で読む。哲学者の思考のノリや想像力に従って読み進める。自分の都合で意味を書き換えてしまわないことが大切だそうです。
さらに思考を鍛えるための心得として…
・考えるには練習と時間が必要・消化不良を恐れない・抽象と具体を行き来する、といったポイントも挙げられていました。
特に印象に残ったのは、考えることは筋トレのようなものだという感覚です。すぐに結果が出るものではなく、違和感や消化不良を抱えたまま考え続けることも大事なのだとか。

こうして第2章を読み終えてみると、この章はまさに哲学の準備運動のような内容でした。哲学者の言葉や思考のルールを一度受け入れて、その世界に入る準備をする…そんな章だったように思います。
正直に言うと、まだ難しい部分も多いです。少しずつでも読み進めていけば、考える力のトレーニングにはなりそうだと感じています。
まずは、普段の言葉の感覚を一度脇に置いて、哲学者の思考の流れに沿って読んでみようと思います。