ある東京のエンタメ施設で、凄惨な事件が起きました。詳細を追うほどに、なんとも言えない気持ちになります。ただ、その中で自分なりに引っかかったのは、「特別な人間が起こした事件なのか?」という点でした。
むしろ逆で、これは“誰にでもある心”が、極端な形で表に出てしまっただけなのではないかと感じています。
人は誰しも思春期にはウブな心を持っています。好きな人に振り向いてほしい。思い通りになってほしい。
拒絶されれば苦しいし、どうにかできないかと考える。これはごく自然な感情。生まれた時からすべてを受け流せるような、完成された人間などいないはずだから。
しかし、この“ウブさ”は方向を間違えると変質します。それが「執着」です。そして執着は、やがて「支配したい」という感情に変わる。相手の気持ちを無視してでも、自分の思い通りにしたいという欲求です。
現実は、当然だが他人の感情などコントロールできない。そこで初めて、“支配できない現実”とぶつかる。このズレが、一部の人間を暴走させるのではないかと感じています。
では、なぜそこまでフリ切ってしまうのか。ここに、今の社会の空気が関係しているようにも思います。
ハラスメントに対する意識は高まり、学校教育も変わり、「傷つけないこと」「正しさ」が重視される時代になりました。
それ自体は間違っていない。ただその一方で、
・理不尽にさらされる経験
・感情をぶつけられる経験
・失敗して立て直す経験
こういった“耐性を作るプロセス”が薄く少なくなっているようにも感じます。
その結果どうなるか…。感情が大きく揺れたときに、それを処理できない。一度振り切れると、自分で止められない。いきなりぶっ飛んだ極端な行動に出る。
これは決して「珍しい人の話」ではなく、これから社会の中で、見えない形も含めて増えていく可能性があると私は思っています。
もちろん、「じゃあ恋愛しろ」「社会でもっと失敗しろ」という単純な話ではありません。
現実として、警察に相談しても防ぎきれないケースはあります。制度だけで人の感情を制御することは難しい。だからこそ、行政や社会としては、危うい兆候を早い段階で察知し、根っこから未然に防ぐ仕組みが必要になる。
同時に個人としても「他人はコントロールできない存在である」という前提を経過させる…例えば、10代で海外滞在とか。言葉も通じない環境で、思い通りにいかない世界をみせる。これが健全な子供に対する税金の使い方ではないだろうか。
自分自身を振り返っても、若い頃は決して強い人間ではありませんでした。フラれれば落ち込み、仕事も手につかない…どうにかできないかと考えたこともある。
時間と経験の中で「人は思い通りにならない」という当たり前を、少しずつ受け入れてきただけです。客観的な目線、俯瞰できる余裕のある気持ちが足りなかった…他責思考になるかもしれないが、親も学校でも教えてくれない。
今回の事件は、加害者も被害者も若い。何をもって解決なのかも分からないまま終わってしまった。
時代によって、事件の形は変わります。かつては集団によるリンチ・暴力。今は個人の内側に溜まった感情の爆発。どちらも根は同じかもしれませんが、現れ方が変わっているだけなのかもしれません。
だからこそ思うのです。感情というものを、どこか一歩引いて見られる自分。それを持てるかどうか。
これは年齢ではなく、経験の中で少しずつ身につけていくしかないものだと思います。
誰の中にもある“ウブさ”。それが暴走に変わるのか?受け止められるのか?その分かれ目は、ほんのわずかな違いなのかもしれません。
みなさんは、ご自身のウブ覚えていますか?
恋愛以外にも、同調圧力の極みにつながる感情と言えるのではないでしょうか。

ウブとは、単に純粋という意味ではなく、感情の処理方法をまだ十分に身につけていない状態。これは10代に限らず、オッサンでも普通にある現象と思って良い。
自分の気持ちと相手の気持ちの違いをうまく整理できず、思いが強く出すぎることで、感情の振れ幅が大きくなる。この未処理の感情が強まると、執着や過剰な期待へと変化する場合がある→ストーカーや殺人まで。
誰しもが形は違えど感情の振れは、人生で必ず体験するはずです。