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2023年50歳になる男の日記

高齢者の交通事故から見える地方社会の課題

身近で発生した高齢者の交通事故

昨日の昼過ぎ、同居している義父(72歳)が運転する軽自動車(新車から5年目)が、自宅から数百メートルの場所で電柱に突っ込む自損事故を起こしました。

 

糖尿病の薬の影響で眠気に襲われたとのことです。救急車で搬送され、現場には多くのギャラリーが集まり、大きな音が響いたため、一時的に騒然とした様子でした。

この地域は畑ばかりであるため、珍しい出来事でした。

幸い歩行者や対向車もいなく相手のいる事故でなくてよかった…。

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この事故をきっかけに、義父は免許証の返納を決意しました。以前から運転が怪しかったこともあり、今回の事故で覚悟が固まったようです。

彼が運転していた軽自動車は、誰が見ても廃車レベルであり、対向車や歩行者を巻き込む事故にならなかったのは奇跡でした。幸い、彼はエアバッグの開放により胸部に痛みを感じているようです。

 

高齢者の交通事故について

高齢者による交通事故は日常的に発生しているのではないでしょうか?アクセルとブレーキの踏み間違えが原因とされる事故はほぼ毎日のようにニュースで報道され、または耳にします。

被害者に同情すると同時に、高齢者自身も意図的に事故を起こしたわけではないことを理解すべきです。

今回のような薬の影響による眠気やアクセルとブレーキの踏み間違えによる事故が後を絶ちません。この問題について何か解決策はないのでしょうか?

今回の出来事は、身近で起こったことで考えさせられるものでした。

 

高齢者の意見(母親74歳)

事故のあった日の夜、私は帰宅して親と今後の車生活について話し合いました。母親は義父よりもまだ運転が安心だと感じており、あと2年は運転を続けるつもりだと述べました。しかし、私は事故が人命にかかわるものであれば、家に帰ってこられないかもしれないと強く訴えました。

私はタクシーを使ったり、休日に合わせて一緒に移動する提案をしましたが、地方では車がないと生活が不便であることを理解しています。母親は私に休日に同行することに罪悪感を感じており、急な用事や買い物に出かける際にはやはり車を運転する必要があると切実に語りました。

その後、「お金を払えば、遠慮せずに頼めるかもしれない」と冗談めかして言ってくれたことに笑いました。

 

自己の経験と教訓

親に対して事故の対策を説いた私ですが、実は過去に自身も色々な事故を起こしてきました。公道での事故はバイクや車で多く、電柱との激突や車両の廃車など、大きな怪我をすることなく生き延びた経験があります。この経験から、親にアドバイスをすることができるのかと自問しましたが、事故を経験したからこそ、事故に対する警戒心が芽生えるのだと理解しました。

対して、無事故無違反のドライバーは素晴らしいように見えますが、実際には事故を起こしていないだけであり、過信は禁物です。

 

 

被害者に対する社会の対応

以前Voicyで話題になった「銃乱射事件」の話を思い出します。このような事件で亡くなる方がいるにもかかわらず、アメリカでは銃規制が入ることはほとんどありません。それは、自己防衛のための銃が必要だという考え方に起因します。同様に、高齢者の交通事故についても、事故が起きても規制が入らないのは、高齢者が不便な生活を送ることを防ぐためです。社会的

において、一定の被害は避けられないと考えられています。高齢者が運転することによって生じる事故は、社会全体がその不便さを受け入れざるを得ない状況にあると言えるでしょう。

地方社会において、ライドシェアの必要性が増しています。例えば、飲み会の帰りにタクシーを利用する際、運転手は高齢者であることがほとんどです。しかしながら、その運転に対する不安もまた現実です。そのため、ライドシェアサービスが導入されることで、高齢者の移動手段の選択肢が増え、安全面でも利点が生じると考えられます。

しかし、地方においても人手不足が問題となっています。このような状況下で、適切なライドシェアサービスを提供するためには、適切な審査やサービスの改善が必要です。

 

最後に、今回の出来事を受けて、義父は近々免許証を返納することになりました。母親もまた、あと2年で運転を止める予定です。同乗していた場合、判断が異なっていたかもしれませんが、不便さを感じることを嫌がっています。

車社会が地方生活の常識である中で、人の命よりも生活の不便を優先する状況が今回の事故で改めて浮き彫りにされました。これからも、高齢者が自ら操作する乗り物を操るためには、日々の運転に対する意識や身体の状態を考慮する必要があることを改めて認識させられました。