朝刊の見出しを見て、思わず「またかぁ…」
「日本郵便、不適切な配達65件を公表」
その中身を見れば、「郵便物を裁断」「放置」「雨で濡らした」。
まるで全部を同じレベルの“罪”に並べて報じている。

報道するほうもどうかと思う…公表して“クリーンアピール”に使う組織も…イカれてる。
雨で数滴でも濡れたら「事件」ですか?郵便配達は屋内の仕事じゃない。風も雪も炎天下も、そして雨のひもあります。そりゃ雨なら濡れます、同情を求めているのではありません。それが仕事ですから。
不適切な配達は、処理の手法が曖昧かつ浅はかだったのかもしれない。
これを“全件公表”これで誰が得をする?郵便物の受け取り何?組織の上は「透明性を示した」と自己満足。責任の所在を見せる正義感を出す大日本帝国ばり。不適切な取り扱いの「線引き」を知らない人たち「不適切」という言葉は便利。何でもその一言で片づきますからね。でも郵便現場で起きる“ミス”には、明確な温度差がある。
意図的に廃棄した者は処分されて当然です!でも誤配を翌日訂正したり、数通が雨で濡れたりそんな現場の誠実なリカバリーまで“一括処分”じゃ…モチベーション上がります⁇
◇組織が線引きを放棄した瞬間、現場の判断力も死ぬ。
報道の「公平性」は?もしこれが他業種ならどうだろう。
- 飲食店がオーダーを一つ間違えた。
- 整備工場がタイヤのボルトを一個締め忘れた。
- コンビニがレシートを渡し忘れた。
- ラーメン屋がチャーシューを一枚載せるの忘れた。
そんなこと、新聞に載ります?でも郵便局だけは、1通の雨濡れで“全国ニュース”これが報道の「公平性」ですか?組織の“透明性”は、現場を守るためにあるはずです。
公表とは、本来「改善」のためにあると思います。誰かを晒すためじゃない。最近の郵便局つぶし、確かにダメな組織。点呼も含め、今回の報道で背筋がビシッと伸びる改善をしています。ですが、今の日本郵便の公表は“防衛反応”批判が怖くて、「全部出しました」だけを武器にしている。それを“正義”として報道が広める。
現場で汗を流す者を犠牲にして。「隠さないこと」が目的になり、「正す」がどこかへ消えた。
もちろん限度はある。封筒がふやけて、宛名が読めない。紙が溶けて中身が貼りついてる。
いわゆる“濡れてぐっちょりレベル”になったら、それは明らかに品質問題。報告して訪問、謝罪する。
それが現場の筋です。もし、小雨で角が少し丸まった程度まで“事件扱い”するのは、もう狂気の沙汰です。
◇現場を知らない人が作る“透明社会”社会のストレスをぶつけるカルチャー
メディアは「公表せよ」と詰めてくる、組織は「隠しません」。報道する側も、発表する側も、現場の重さを知らない人間同士が、自分たちの正義を語っている。社会には“ヒール役”がいつの時代も存在しています。日本の「ヒール役」となった主な企業・組織(結構ある!)
・雪印乳業・豊田商事・オリンパス・東芝・三菱自動車
・ジャニーズ事務所・ビッグモーター・日本大学
・日本郵政グループ
少なからず、社会ストレスの矛先にもなっているのではと感じます。そう感じるの私だけ?
◇狂っているのは現場ではない。濡れた郵便物をニュースにする社会。
それを公表して胸を張る組織。そのどちらも働く人のリアルを失っている。狂っているのは、現場じゃない。「正しさのイカれた演出」に酔っているだけだ。
ついさっき出たYahoo!ニュース↓
郵便物を空き家や配達区内の宅配ボックスに一時保管・・・日本郵便 不適切取扱い65件を公表(RKB毎日放送) - Yahoo!ニュース
結論:真面目が生むエラーを、誠実が直す時代に
報道する側も、公表する側も、みんな“ちゃんとやってる”でも、ちゃんとやっているのにどこかおかしい。その違和感を直視できない限り、この国の「正義」は、どんどん人間味を失っていく。
雨で濡れた一通を“事件”にする社会、そこにいるのは悪人じゃない。これは真面目な悪です。
『誠実とは人を守ること』『真面目とはルールを守ること』社会に必要なのは、前者のほうです。