朝から晩まで事務所にいれば、管理者としては確かに強いです。何が起きても対応できるし、責任ある立場としては正しい在り方なんだと思います。これは愚痴ではなく人生の時間軸で考えると、どうしても引っかかりがあったのです。
1日は24時間しかない。そのうち12時間以上ほぼ毎日、仕事に持っていかれる。それが一時期ならまだしも、何年も、何十年も続く。管理職になる人たちは、能力がないわけじゃない。むしろ逆で、現場を知り判断ができて、組織にとって「できる人」で「火消し」した実績をもつ。だから選ばれている。
ただその立場に行く過程で、少しずつ削られていくものがあると思います。管理職になると、「共感しすぎない」ことが求められる。誰か一人の事情を深く考え始めると、全体が回らなくなるから…。だから人を見る角度が変わっていく。
人を「個人」ではなく「配置」や「数字」として見なければならなくなる。それは冷たいからじゃない。そうしないとそのポジションを、続けられない構造になっている。朝は“喝”のミーティング、日中は突発対応、夕方以降はPC越しで数字や報告。時間で区切れない仕事。終わりのない責任。
その中で、本を読む時間や仕事と関係のないコミュニティに関わる余白は、どうしても削られていく。いや、できないわけじゃない…でも現実的には難しいはずだ。給料は上がり立場も上がる。ただ、もらったお金を使う時間も場所もないでしょう。
転勤ありきで地元や家族、自分の生活圏から距離を取らされる。それは役職に集中させるための、組織の設計なんだと思う。地元に根を張りすぎないように…癒着が起きないように、組織としては合理的。
下の人間も引き締まるし、「回る組織」は維持できる。でもクオリティ・オブ・ライフという視点で見たときに本当にそれが、幸せな働き方なのかは別の話です。健康面で言えば“座り仕事”。一見ラクに見えますが、医学的にも健康を害すと言われています。
人を叱るときでさえ、自分の感情を抜いて「管理者」という仮面をかぶり続ける。その強さがいつの間にか自分の幸せを考える力まで奪ってしまってはいないだろうか⁇
待遇や偉いポジションに嫉妬、また批判しているのではありません。もちろん管理職が不要だとも思っていない。

いなければ現場としては困る。ただ、戦前戦後から続く大きな組織の構造、統制と圧力によって人を動かす仕組み。民営化したとはいえ、どこか「普通の民間企業」とは違う。※他のデカい民間企業も異常だが。
強さを保つ代わりに、人間の時間を静かに削っていく、だがそれは腹をくくった覚悟でもある。自分が感じている違和感は、誰か個人への不満じゃない。「強い組織」と「一人の人間の人生」が、どうしても噛み合わないところに生まれる違和感なのです。
だからこそ、給料が高くても自分はそのポジションをやりたい!目指したい!とは思いません。これは逃げでも負けでもない…結局は価値観の話です。