「みんなそうしてる」に、流されないために
「旅行なんて、道楽でしょ?」「そんなの、余裕がある富裕層の話だよ」そう言われたことがある。たしかに…そう見えるのかもしれない。でも言いたい。旅行は道楽なんかじゃない。私は「自分という感覚」をもう一度取り戻す行為だと思っています。
「周りに聞いてみろ!」って言われても
「いや、そんなに海外行く人って、普通いないよね?」「逆にあなたの方が珍しいんじゃない?」
そう指摘されたこともある。でも…「普通」ってなんだよ?仮に“海外に行かない人が多数派”だったとして、それが「自分が行ってはいけない理由」になるんですか??いや旅行に限らずおかしい話です…。
あの人が転職したから自分も転職する、あの人が結婚したから結婚する、あの人が起業したから起業する…別に否定はしませんが、いい歳してジブンあんの?って、私は感じます。
他人の価値観を「正しさ」として押しつけられる空気。多数派が「正解」になる感じ…小さなファシズムじゃないかと思います。
普遍って誰が決めた?
「普通はこうだよ」「常識的に考えて」「みんなそうしてる」このあたりの言葉ってよく使われる。「普遍的なもの」多くの人の価値観の“重ね合わせ”でしかないと思っています。ただそれだけ…数が集まれば、それが「正しいこと」になる。
でもそれが、本当に自分にとって納得できるかは別問題です。
「今」を後まわしにする理由…歪んだ価値観
「もうちょっとお金に余裕ができたら」「仕事が落ち着いたら」「年をとってからゆっくり」…そうやって先送りにしているうちに、あっという間に時間は過ぎ死にます。
その“また今度”ってやつは、気づいたらもう来ないまま終わってる。もちろん大前提、備えるのも大事です!貯金も必要。将来の不安は誰しもあります。
でも過度な貯蓄で未来は担保されません。今を我慢するだけじゃ、生きてる意味って薄いカルピスみたいじゃないですか。
自分にグラデーションをつける、それは旅に出ること。旅に出るといろんな感覚が戻ってくる。「異国こういう空気」「やっぱり苦手だな」「自分にとって心地いい」そういう“感覚”を感じることが人生なんじゃないかって。
自分の価値観で生きる
誰かの「正しい」を追いかけるんじゃなくて、自分が納得できる選択をして生きたい。
最後にもう一度言っておきたい。旅行は道楽でも、現実逃避でもありません。
他人の価値観や空気から、自分を解放するための時間。そして、これからどう生きていくかを“自分の感覚”を磨く行為です。
みなさんはどう感じますか⁇